薬になる薬草や物産を全国から集めて、初めての物産会(博覧会)を開催したのは源内。国内の製
薬に役立つ草や木々などを採取研究し、それに西洋からの博物学の体系を持ち込み、融合させる取
組を展開。魚や草の精密画は当時の職人さんたちが描いたのだろうが、今見てもすごい。
17世紀後半、上方(大阪)では西鶴、近松、芭蕉などの活躍する時代、江戸に源内 ありと言わしめるほどの活躍ぶりで浄瑠璃や戯曲を作っている。江戸弁を使ったという点でも珍しいものだったようで、作者名がまた面白い。 風来山人(ふうらいさんじん)天竺浪人(てんじくろうにん)福内鬼外(ふくちきがい)などと遊び心満載。
源内と言えばエレキテル。静電気の発生装置のこと。オランダで発明されたもので、壊れていたものの
模造製作に成功した。明かりといえばローソクしか知らないような時代に、電気の存在を伝える貴重なものだった。
初めての長崎遊学からしばらく経った1755年(宝暦5年)ごろ源内が作成したらしい。歩行に伴
い内臓された振り子がゆれて歩行距離を測った。
「う」のつく日に「う」のつくものを食べると縁起が良いといわれたかどうか?
とにかく、はやらないうなぎ屋の相談で、「本日土用の丑の日」というポスターを貼り
だしたのが源内とのこと。その習慣が200年以上経った今でも続いているのだからすごい。